自分の望みを言える幸せ
「確かな一歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない」 ・・・ byイチロー
また更新をサボっていたmackyです。こんばんわ。
利用者の人達は、今までどれほどダメだしをされ、注意を受け、やっかいだと思われてきたんだろう?
彼らをみると、ついついそんなことを思ってしまいます。
同じ目線で接してくれる人はいない。絶対的な上下関係。いつも誰かが注意の声を掛けられている。まわりと違う事はダメだとされる。彼らを、一般人にどれだけ近づけるかしか考えていないんじゃないか?と思ってしまう。
職員が傍によっただけで、緊張する人が多い。
ここは、しつけ教室じゃないのに。。。
そんでもって、学校でもない。
ここは、その人の生活の場そのもの。
私は利用者よりも下の位置にいる。だから、彼らの気持ちがとてもよくわかる。
彼らは最初から望みを持たない。望みが叶えられることがないとわかっているからだ。
おそらくは、長年の施設暮らしで身に付いた自己防衛策なんだと思ってしまう。
木下さん(仮名です)は、ようやく最近私に、「○○が欲しい」って言ってきてくれるようになった。
それがとてもうれしい。それは、本当に小さな小さな望み。
自分では自由に外に買い物に行けないし、得られる情報も極端に少ない。自分の自由になる持ち物なんて何一つ持っていない。私と同じ年なのに・・・。
でも、それが彼の現実だ。
これまで、誰も彼の思いを代弁してくれる人がいなかった。
私は、そういうの変えようとしています。
そんでもって、日々いろんな抵抗を受けています。
それは、私が施設の秩序をみだす人間だから。
規律と規則が人を幸せにするのだろうか?本気でそう思っている人達がいる。
なぜ秩序を乱すのか?それは私がまわりと違うから。周りと違って利用者の側に立つ人間だから。違うと思えば、施設長とだって喧嘩します。だって、私が代弁しなかったら、誰が彼らの思いを代弁してくれる?
私には目の前の利用者しか見えていないのかもしれない。
でも、所詮現場では、利用者本人と私、つまり、あなたと私の関係でしかないのではないか?と思う時があります。
すぐにはいかない。
でも辛抱強く私はやっていくつもりです。
答えは、いつも利用者の方々が出してくれると思っています。
今は、そんな感じです。
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コメント
作業ってありますよね。
最近しょうがい者の授産施設なんか行きましたが、もう無言で黙々働いている。仕事中は休めない、私語などもってのほか。言うまでもありませんが、作業スケジュールに関して利用者さんが関与することは一切ありません。一切のルールに触ることは赦されない。これは大変な光景だな、と思っていると職員さんは「これは仕事なんです。」と自信満々に仰せになる。
俺はつい最近まで普通のサラリーマンでした。仕事、をしていました。朝起きるのが面倒だから昼頃会社行くとか、ネットカフェで休息するとか、それからお客さんとまだ陽が高いのに飲みに行ったりしましたね。こういうのもひっくるめて仕事でしたし、それこそ本当に考えて仕事をする時間って言うのは一日に15分もあれば良い方でした。だからと言って別に駄目な社会人だった訳でもないです。そういう最中にあって会社の要求にはきちんと応えて来ました。
そして今、俺はしょうがい者の人と一緒に「仕事」に向き合っています。職員さんの言う仕事、とはさぼれない上に、その人にとってもしかすると「苦役」であるかもしれない事も「仕事だ」と言い放つことで正当化される「仕事」なんですね。それを職員さんは正しいこと、としている。さぼること一つ出来ない、ちょっとお茶も飲めない仕事が「仕事」なんだろうかと考える俺は単に自分が禄でもない仕事人生であったのかもしれないです。でもね。
ナントカの法則ってのが福祉の世界では良く聞くんだけれど、その中に「自己決定」なんて言うのもあります。これは利用者さんの自己決定と言うことではなくて、きっと利用者さんから自己決定そのものを徹頭徹尾奪うことが、「職員の正しいあり方」なんでしょうね。
投稿: 散人 | 2009年10月 2日 (金) 01時54分
■散人さんへ■
コメントありがとうございます。
作業所、授産施設…。私も同じことを思います。
以前、障害者の方々を雇用している、株式会社をいくつか見る機会がありました。個人経営のパン屋だったり、企業のある部署だったり、そこでは、障害者も健常者も関係なく、一緒に働いていました。ともに働く人って感じがとても自然でした。社長だって、社員だってみんな一緒に働いているんです。
ところが、授産施設や、私の今いる施設もそうですが、職員は、障害者を働かせる人なんですよね。とても違和感を感じます。
一緒に働く同僚でいいじゃん、と思ってしまいます。一緒に働いて一緒に売上UPを目指して…。私は、そういう感じでやっています。だから、浮いてしまうのかもしれません。
福祉的就労と一般就労では、そういう感覚が違う気がするのですが。
>さぼること一つ出来ない、ちょっとお茶も飲めない仕事が「仕事」なんだろうかと考える俺は単に自分が禄でもない仕事人生であったのかもしれないです。
私も、サラリーマン時代は、今より厳しかったですが、融通はききました。お茶のみながら仕事してましたよ。
足組んでパソコンに向かっても誰も何も言わなかったけどな~。
なんかおかしいなぁってなぜみんな気付かないんだろう?気付いているけど、福祉だからこんなもんだ、障害者の人たちだから違うんだって思ってるんでしょうかねぇ。。。
以前、施設長と言い争いになったときに、「そんなに仕事だとか、ここは働く場だとかいううんなら、利用者に給料払ってください!もっといい仕事取ってくるのがあなた方の仕事じゃないんですか!」と言ってやりました。結局、施設長は言い返せなかったんです。やることやってないのは、そっちじゃん、と私はいつも思っています。
投稿: macky | 2009年10月 4日 (日) 06時39分