地域はやっかいな物
うちの実家は専業農家です。
私はこれまで、お米を買ったことがありません。毎月実家から送られてくるからです。フルーツも、日頃スーパーで買うことはありません。メロンやスイカ、ミカンなど、季節ごとにうちの実家から送られてきます。ありがたいです。本当に。うちの実家は農家だと、これまで色んな人に自慢してきました。私の誇りでした。
これまで、うちの実家から送られてきた物は、、職場の人などに振り分けていました。
休み時間に職場の人みんなに振舞ったり、結構喜ばれていたと思っていたのですが・・・。
それを、今後はダメだと言われました。生まれて初めての経験だったのでとてもびっくりしました。
衛生的に問題があるそうです。
今回も、うちの実家からスイカが送られてきました。私達夫婦2人ではとても食べきれない量なので、主人にも職場に持っていってもらいました。そんでもって、私も、職場に持って行って、利用者の方々に振舞ったのですが・・・・。
施設長、課長、係長、直々に、お咎めがあったのです。
・「衛生面で問題がある」
・「施設は利用者が働く場なので、スイカなどそんなもの持ってきてもらっては困る」
私は、その時、言い返しました。
「要は、勝手にエサを与えないでくれ」ってことですね。と。(勝手にはあげてないんですけどね。)
「うちの実家のスイカは、衛生的に問題あるってことですね」と。
「働く場って・・・、前の会社の時も、仕事場に持って行ってましたけど?休み時間に食べる分に問題あるんですか?」
施設長や課長は言ったんです。
「うちはうちで管理しているから。チームで支援しているから、余計なことをされると困る」
全く訳がわかりませんでした。
だって、職員どうしでは、おみやげ交換とかしてるじゃん。なんで利用者にはダメな訳?
申し訳ないけど、全く分かりませんでした。そのことで、利用者が混乱したり、状態が悪くなったりしたのであれば、私も反省しますが、みんな喜んでいたし、利用者にも、いい影響を与えていると、他の職員も言ってたのに。
要は、動物園の羊やヤギと同じですね。利用者を、厳密に管理飼育している。
私は、利用者がそこまで自分の生活を管理されているとは思っていなかったので、
本当に安易な気持ちで、スイカやメロンを持ち込んでいました。
一般社会とはかけ離れた世界がそこにはあるんだ、と改めて実感したmackyです。
利用者に本当に申し訳ない事をしてしまったと思います。
そして、私の両親にも・・・・。
施設で暮らす人達は特別なのです。地域が(うちからの果物が)簡単に入っていけるほど簡単なものではないんですね。つまり、地域は、施設にとってとてもやっかいな物なんですね。
利用者が地域で暮らすって、本当に困難なことですね。
それもこれも、私が虐待の報告を挙げるまでは、何の問題もなかったように思います。
去年は、みんなで楽しくいただきました。
つまり・・・、目をつけられた・・・、ってことですね。
これじゃぁ、苦情委員会とか設けても、誰も言ってこれないでしょう。だって、言ったら目の仇にされちゃうんだもん。
毛色の違うものを排除する。そういうことだ。
そして、今日、また施設長じきじきに注意を受けました。それは、私が、利用者にグミをあげたことです。
すごい剣幕で怒鳴られました。私が一歩も引かないと、すごい剣幕で「○○しなさい」の命令形で言ってきました。だから私も怒鳴り返しただけです。怒鳴れば言う事を聞くと思っている。まるで、学校の先生です。明確な、納得できる理由があれば、私も言い返すことはなかったと思います。
私は、「なぜですか?」と聞きました。「なぜ、利用者にグミをあげてはいけないのか、わかりません」と言いました。そしたら、すごい剣幕になったのです。まるで軍隊です。刑務所より酷いと私は思ってます。「非常勤のあなたは、我々常勤の指示に従って動く。それ以外の行動は許さない」そう言われたも同じです。
私は、その明確な理由が欲しかっただけです。利用者にグミをあげてはいけない理由。そうでもしないと、誰も答えてくれません。私の現場では議論にもなりません。
いわば確信犯なのです。
施設長は「ここは利用者の働く場だから」と言いました。
私は、「だったら、職員もお菓子持ち込み禁止にしてください。コーヒー飲みながら仕事するの禁止にしてください。職員どうしのお土産交換は一切禁止にしてください。なぜ、職員は良くて、利用者はダメなのですか?」と言い返しました。
施設長は、「ルールだから」としか結局は答えられなかったのです。当たり前です。利用者が、お菓子を食べちゃいけない理由なんて、もともとないんです。ただの決まりなんです。決まりを誰かが破れば、風紀が乱れる。ただそれだけのことです。
「この施設ができたときからの決まり」だそうです。(そんなの、初めて聞いた。)
問題の種を持ち込むことになるかもしれませんが、そういう一つ一つの事を真剣にみんなで議論することをしてこなかった私の施設は、とても脆弱で薄っぺらい印象を受けるのです。
そんな施設に暮らしている、利用者は、不幸です。
私が去年から今回禁止されるまで、スイカやメロンをみんなに振舞っていたことで、利用者の1人が変わりました。
その方は、レクで旅行に行ったのですが、お土産をうちの現場の利用者全員に買ってきてくれたのです。そんなこと、おそらく施設開所以来、初めてのことです。その方は、うちの開所以来十数年うちの施設に入所していますが、初めてのことなんです。私が、いつも、実家からのものを持ってきてくれるから・・・って言うんです。
誰からも言われず、自分で判断して、レクのお土産を、自分のお金で、みんなに買ってきてくれたのです。自立って、こういうことを言うんじゃないでしょうか?
そういうところを、なぜ見てあげないんだろう?
その時、職員は、とてもめんどくさそうに、その利用者からのお土産を他の利用者に与えたりしていました。
一体何の為にこの仕事をしてるのか?みんな、その目的を見失っています。
私には、そう見えるんです。
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コメント
macky様ヘ
利用者の側に立つことによって、施設の周縁に置かれる。利用者に対して良いことをしてはいけないのが、施設の現状かも知れませんね。しかも、楯突く職員は、容赦なく攻撃されます。昔、ある施設長が「こいつらは、飼っていれば、金になる」と言った愚かな施設長が居ました。勿論、その方は、後に社会的な制裁を受ける事になりました。そうした、施設長、管理職が居る限り、利用者は希望を持つことも、本来の力を取り戻すことも出来ません。良いことばかり、福祉は随分と語ってきました。研修に行くたびに、現実はそうじゃないと、ため息ばかりの日々です。しかし、現状は、mackyさんと利用者の方々が、今、置かれている状況そのものだと思います。
私は、mackyさんから楯突かれる側の立場にありますが、近所の農家さんから、いつも、トウモロコシやメロンを頂きます。それでは足りなくて、農産班の畑に行っては、枝豆を勝手に盗ってきて、塩ゆでにして、入所者のみなさんと良く食べていました。農産班の担当者からは、後日、お叱りを頂戴するわけですが、それが、施設の良いところです。昔の施設は、みんなそうやって、楽しくやっていました。それが、今では、理不尽な管理、管理になってしまいましたね。
リンクありがとうございます。肝臓を大切に!
投稿: madoka | 2009年6月25日 (木) 16時50分
■madokaさんへ■
リンクの件、ありがとうございます。
私は、なぜ利用者にお菓子を勝手にあげてはいけないか知っています。
要は、普段与えないで、目の前のニンジンとして使いたいのです。作業に向かわせるための褒美として使う為に、極力与えない。利用者に対する、職員の絶対的な強者としての立場を明確にするための手段がおやつなんです。
そんなの最初から分かってます。だから私はあげてました。そのことを問題にして欲しいのです。
職員達に言いたい。あなたは、ちゃんと自分の生活を管理できているんですか?寝坊したことはないんですか?食べ過ぎることはないんですか?飲みすぎて、羽目をはずすことはないんですか?(すみません。私、よくあるんです)家計簿をつけて、金銭管理をちゃんとできてますか?(私はやってません。ごめん旦那様)交通違反やったことないんですか?(これもあります…)
徹夜でゲームやったことないですか?
だいたい、人間の生活なんて、ダラダラしたものじゃないんですか?
なぜ、障害者というだけで、規則正しい生活をしなければならないんですか?
私は、馬鹿かもしれません。本当に、わからないんです。おそらくは、責任とかそういう問題なんだと思います。わかってます。
だからわからないんです。
専門家にすると、福祉をやる資格ないのかもしれませんね。
投稿: macky | 2009年6月26日 (金) 12時29分
わたしは就労を目指す事のない入所施設での経験しかないので、「ここは利用者の働く場だから」と言うフレーズがピンと来ません。そのため、この施設長の言う意味をわたしなりに解釈すると、「甘やかしたら、何をするかわからない」。一人ひとりの利用者を見ることなく、過去の価値観を押しつけているに過ぎないように感じました。
自閉圏の人たちを支援する上では、見ように寄っては管理的とも思える「構造化」で職員が統一した手法を取る事は有効でしょう。
そうした観点から「イレギュラー」なmackyさんのする事が目に付くのは想像できます。
ただ、職員間のお土産などのやりとりと、職員と利用者さんとの業務時間中のやりとりは、わたしも区別した方が良いと思います。そこはビジネスと割り切るべきかと思うので・・・・。
投稿: Heart さん | 2009年6月27日 (土) 21時31分
■Heartさんへ■
コメントありがとうございます。
>自閉圏の人たちを支援する上では、見ように寄っては管理的とも思える「構造化」で職員が統一した手法を取る事は有効でしょう。
だから職員達は、利用者が調子が悪くても、それが利用者の嫌いな作業でも、その作業が終わるまで頑として休ませることはありません。それが利用者の為になると思って疑いません。途中で作業量を減らしてあげると、くせになるというのです。
私は減らしてと利用者から頼まれたときは、減らしてあげます。これまで、そのことで、癖になってしまった人はいません。むしろ、作業中の問題行動は減りました。大事なのは、作業を1人で最後まで終えるという事ではなく、やりたくないという気持ちをちゃんとコチラに伝えることができることだと思っています。それが自立だと私は思っています。つらい時に手伝ってと言える。
利用者は、様々な行動で、その事を伝えてきます。うちの施設は、それを受け止めてあげないのです。そういうことを、日々職員に伝えようとしていました。それが風紀を乱す行動なのです。
>そこはビジネスと割り切るべきかと思うので・・・・。
利用者には、誰もお土産を買ってきてくれる人はいないということになりますね。一生です。利用者の「働く場」にお菓子を持ち込んではいけないのなら、職員も「働く場」に持ち込むべきではないと思います。同じ「働く場」なのだから。そもそも「働く場」だって生活の場なのに。職員はいいのに、なぜ利用者はいけないのでしょう?学校だって、ガムの一つや二つ休み時間に食べていました。だったら、利用者だって許されるはずです。要は徹底的に管理したいだけなんです。
先日、昼食のメニューが、うどんの日がありました。職員達の中には、これじゃぁ足りないといって、後からマックを買ってきて職員同士で食べていた人達がいます。違うだろと。あなた方がやらなきゃいけないことは、うどんだけじゃ足りないと施設に抗議することじゃないんですか?職員が足りないと思ったときは、利用者だって、足りなかったはずです。その日、昼食の目安箱には「うどんの日は、おにぎり一つでも付けてください。足りません」と私の書いた紙だけが、寂しく入っていました。
何の為にこの仕事をやっているんでしょう。自分達の声を誰も代弁してくれる人はいない。私は、この施設で暮らしたくありません。
投稿: macky | 2009年6月28日 (日) 07時37分
こんにちは。はじめまして。
私も知的障害者施設で働いて2年目になります。大学では高齢者福祉を専攻していたんですけどね。
mackyさんのブログはつい最近友人に聞いて、いつも様々なことを考えながら読ませていただいています。
“利用者さんが旅行に行って、お土産を買ってくる”
・・・びっくりしました。私の施設の利用者さんもお土産を買ってきてくれたら嬉しいと思います。何がって、お土産をもらえることではなく、利用者さんの気持ちが。
だけど、私のいる施設は小規模なので、同じくらいのレベルの利用者さんばかりではありません。だから「お土産」を理解できない方もいらっしゃるんです。
「なんで今日は〇〇がもらえたんだろう」
「なんで昨日と同じことをしているのに、今日は〇〇をもらえないんだろう」
って、混乱を招いてしまったことが以前ありました。
とてもステキな出来事なのに、両手ばなしでは喜べない。私はそんな施設的な考え方になってしまったのでしょうか。
毎日のスケジュールをパターン化することで安定している(と思われる)方々に、いつもと違うことや新しいことがある場合、どのように説明するかで悩んでしまいます。まだまだ修行が足りませんね。なので、mackyさんのブログには勉強になることが多いです。
しかし、ただひとつ。一職員のみが利用者さんに勝手にお菓子を渡すということは、やめた方が良いと思います。「あの人はお菓子をくれるから、あの人の言うことだけ聞けばいいや」って、なりませんか?学校などでのやり取りとは違うと思います。
あくまで私のいる施設の利用者さんが同じことをしたら・・・と想像してみたことです。環境も何も違う施設なので、不適切な表現だったらごめんなさい。
投稿: ゆい | 2009年6月29日 (月) 16時56分
■ゆいさんへ■
はじめまして。コメントありがとうございます。
>いつも様々なことを考えながら読ませていただいています。
所詮、素人の暴言なので、あまり気にしないでくださいまし。私は、ゆいさんのように、大学から福祉を専攻していた人達は本当にすごいと思います。私は、大学の頃は、自分のことで精一杯でしたから。だから、そんな人達がちゃんと力を発揮できるような施設にしていきたいんですが…、なかなか抵抗は根強くて。。。
>何がって、お土産をもらえることではなく、利用者さんの気持ちが。
うれしいですよね。私も感激しちゃいました。私のところの利用者の方々も、お土産など理解できない方はたくさんいます。どちらかというと、言葉も理解できないような本当に重度の方ばかりです。
でもそうした方々もちゃんとわかってるんですよね。わかってる。私は、本当にそう思います。利用者さん同士の関係もなかなか面白いものがあります。
>「なんで昨日と同じことをしているのに、今日は〇〇をもらえないんだろう」
って、混乱を招いてしまったことが以前ありました。
もちろん、そういう方もいらっしゃるかもしれません。でも、そう思わない方もいます。それらの人達が一律ダメだってなるのは、私はおかしいと思っています。
>「あの人はお菓子をくれるから、あの人の言うことだけ聞けばいいや」って、なりませんか?
と思うでしょ?みんなそう言うんです。だから、利用者に意味なく食べ物をやっちゃいけないと先輩方から言われる。そんでもって、それは暗黙の了解みたいになってて、みんな怖いからその掟を破れない。だから誰も実践する人はいなくて、利用者は口寂しくても何も口にできない。利用者の置かれている状況は、動物以下ですね。
それは、あまりにも利用者を馬鹿にした発言だと私は思っています。実際そんな利用者はいませんよ。自分に置き換えて考えてみてください。その程度で人を判断しないでしょ?彼らは、言葉が通じない分、もっと本質的な所を見てると思います。実際、私がお菓子をあげていたからと言って、私のいう事しか聞かないってなった人は、1人もいません。むしろ、私は元々利用者に指示など殆んどしませんし。。。でもちゃんと上手く現場は廻っていく。
犬猫ですら、そんな風にはなりませんよ。うちは犬を飼ってましたが、いつも私しかご飯をあげてませんでした。でもちゃんと主人の言うことも聞いていましたよ。
彼らは、普通の人間です。私達と何ら変わらない気持ちをもった人達です。
要は、信頼関係だと思います。
私は、みんな利用者を馬鹿にしすぎだと思っています。彼らは、わかってますよ。全部わかってると思います。私達が思っている以上に全部、我々のことを見抜いていると思います。だから、毎日真摯に現場に立つ事しか私にはできません。
施設で2年目ともなれば、色んな矛盾を抱える頃だと思います。これでいいのか?とか、理想と現実の狭間で心が揺れ動く頃だと思います。でも、どうか、初心を忘れずに。おかしいと思ったことに、とことん向き合い悩んでください。それはとてもつらいことだと思います。私がそうです。でも、利用者の声なき声を代弁できるのは、現場にいる私達だけだと思います。時代は刻々と変化しています。10年前に先進だったものは、今では時代遅れなのです。
私は、そう思います。
またコメントお待ちしております。
投稿: macky | 2009年6月29日 (月) 19時21分
そもそも、特定の人(利用者)にだけあげるということが、公平性を欠くと思います。
公平さを欠くということは、それ自体が差異を生じさせると思います。
「差別」というのは見る方向によって様々だと思いますが、貰ってない利用者さんにとってみれば、どのような形であれ、差別に感じとれてしまうのではないでしょうか?
no-borderと謳われるなら、まず考えて頂きたいと思います。
投稿: huyuko | 2009年6月30日 (火) 22時44分
ある特定の職員だけが食べ物(おやつ)をあげていること自体は問題だと思います。
もっとも施設は「最悪の状況」を想定してそれに抵触する可能性のあるものは「一律」ダメってことにしてしまいますので、そこに「あなた―私」と言う切実な関係性なんかありませんよね。マスコミの自主規制なんかと似ています。要するに問題が起こらなければ良い、と言う事。
それだったら人権がどうのとか、えらそうなこと言わなければいいのに、って思います。
>私は、みんな利用者を馬鹿にしすぎだと思っています。
結局そういうことなんじゃないでしょうか。
所詮はペット扱いだから、愛玩はしても、その人の尊厳やその人自身が愛の主体であることに、どうしても目が行かないんでしょうね。
投稿: 散人 | 2009年7月 2日 (木) 01時02分
■huyukoさんへ■
はじめまして。コメントありがとうございます。
お返事が遅くなってしまって申し訳ありません。
>公平性を欠くと思います。
そうかもしれないですね。でも施設の中での公平性ってどういうのを指すのだろう?って思います。実際、ルールに従っておやつを貰っている人もいます。貰えていない人もいます。これは別の記事で書こうと思っていたんですが、結構施設内格差って生じていて、いつも新しい洋服を着ている人もいれば、ボロボロのお下がりしか着れない人もいます。
施設の中でのおやつの扱われ方って、決まった時間に決まった量、職員から一方向的に与えられるものです。それって、普通の生活の中ではあり得ないな、って思っていて。
今回禁止されるまで、休み時間に一緒に果物を食べていたことで、ある利用者が、お土産を買ってきてくれたことを記事にも書いたのですが、最初から全てを禁止されていたら、おそらく、その方が、私達や他の利用者にお土産を買ってきてくれるなんてことは、おそらくなかったんだろうと思います。
その方がしてくれた行為は、まさに地域で生きてるって感じだったと思います。そうした可能性を、施設というところは、最初から奪ってしまっているんじゃないかなぁって思います。
だから結局施設って何なのだろう?って日々色んなことを考えたりしていますが、なかなか答えは出ないです。その施設に入った人は、その施設のやり方に従うのが仕事なんだろうと思いますが、それを変えていけるもの、またその施設で働いている人だけなんだろうな、って思ったり。私が考えることじゃないかも…っても思うのですが、現場の利用者の方々に接していると、考えずに素通りできなくて、日々悩んでいます。
またコメントよろしくお願い致します。
投稿: macky | 2009年7月 3日 (金) 08時55分
■散人さんへ■
コメントありがとうございます。
>そこに「あなた―私」と言う切実な関係性なんかありませんよね。
そうなんですよね。利用者と職員の関係というのは、「利用者と施設」の関係でしかないのですよね。利用者の立場に立った時から、私には、施設が吹っ飛んでしまいました。そこに大きな矛盾を抱えることになってしまったのです。
何が個別支援プログラムなんだろうって思ってしまいます。結局は、利用者のやりたいことなんて、一つも実現されないし、そもそも、やりたいことが何か、どう生きたいのか本人に聞こうともしない。
半年に一回程度旅行に連れて行ってもらって、余暇支援だの、そもそもそこに行きたいのか?と思ってしまいます。行ったら行ったで、そこでも色々制限されちゃうし。年に一回の旅行よりも、私なら毎日好きなTVが見たいと思ってしまう。好きなだけ眠り続けたい日だってある。
要は、自分を理解してくれる人がどれだけいるか…ってことじゃないかなぁと思ってしまいます。だとしたら、施設のやることは、利用者に色んな制限を設けることじゃなくて、外に向かって訴えることじゃないのか?と思ってしまいます。私がブログをやってるのも、そういう理由からなんですけどね。あんまし、効果はないですけど…。
少なくとも、私は施設では暮らせないと思うから…。
投稿: macky | 2009年7月 3日 (金) 09時43分
結局は、利用者のやりたいことなんて、一つも実現されないし、そもそも、やりたいことが何か、どう生きたいのか本人に聞こうともしない。
TEACCH法と言うのもそもそもその為にあった、あるべきだと思うのですよ。でも現実的には、支援員が絵カードを持った魔術師になるだけになっているように思うのです。実際「これがあれば楽勝」らしいですから。
結局のところ、あなた―私の二人称の関係に於ける切実さが捨象されて、三人称―管理の世界になったら、そこにはその人が生きる切実さや、それこそ人間の尊厳なんてもんはどっかに行ってしまうのは当然のように思います。
個別支援と言っても施設の側の思い込みを押し付けるだけの結果になっていることが多いように思いますし、やはり給料貰って、仕事としてやっていれば、その人の思いや願いの前を通り過ぎることなど簡単なのかな、とも思います。
一人ひとりが尊厳をもって生きるということに関する感性においては、福祉の人が一番しょうもない、と最近研修に行って思いました。
勿論彼らも人権だの、そういう言葉は大好きですが、結局は方便や便宜で使っている。相手の立場に立ったつもりになっているから、「これだけやってやったのに」等と平気で言えるんです。
結局「共に生きて」いないんです。支援と言いますが、少なくとも私の出会った範囲で言えば、利用者さんはただただ支援を求める人ではなく、むしろこちらが支援して頂いた場合が多い。
でもそんなの当たり前の話で、人を慰め、立て上げる力を持っている、場合によってはそういう言葉をもっているのは、社会の抑圧や偏見や差別に喘ぎ、それに自らの傷みを持っている人であるからです。そういう例を施設の中で多く見ることが出来ました。それは即ちその人の如何なるしょうがいをもっても、その人が愛の主体となることを妨げることはあり得ないということ。それを私たちは人間の尊厳と言うのではないかと思うのです。
公平性を欠く、とか、統一支援がどうの、と言うのは施設の言葉で、日本語に翻訳すると「お前らには何にもしませんよ」という意味です。勿論「チームで支援している」訳ですから、そうした言葉使いや文化に慣れ親しむことも要件かもしれません。
施設であろうと、地域であろうと私たちに求められるのは独りよがりと思い込みの「支援」でなくて、その人の思いや願いに「連帯」することではないでしょうか。長文失礼。
投稿: 散人 | 2009年7月 5日 (日) 00時45分
■散人さんへ■
この仕事を始めてから、「何がチームだ」っていつも思います。
私は、社会人時代は、ずっと、それこそチームで仕事してきました。工業関係でしたが、全く違う業種の人や、異なる会社の人達と一緒に仕事してきました。考え方は同じだと思っています。それは「一貫した」とか、「同じ目標に向かって」とかいう意味だと思います。そういう意味でみると、福祉はまるでできていないように思います。得るインセンティブの違いからでしょうか?なぜそれほどまでにやる気がない?と思ってしまいます。
みんな目標とするものが見えなくなってしまっているのでしょうか?
それは、利用者の笑顔に他ならないと、私は思うのですが・・・。
>その人の思いや願いに「連帯」することではないでしょうか。
私もそう思います。私達が共感しなかったら、一体誰が彼らの痛みをわかってくれるんだろう?本人のそれは、おそらく、家族でさえもわかってくれないことなのかもしれない、と私は思います。
長文、大歓迎です♪
投稿: macky | 2009年7月 8日 (水) 20時10分